施工事例

2024年5月-親鼻橋側道橋道路照明灯・橋梁用高欄工事

秩父郡皆野町に架かる親鼻橋の橋りょう修繕工事(親鼻橋側道橋補修工)の内、道路照明灯支柱の更新3基と高欄補修工(設置工)として220mの橋梁用高欄設置を行ないました。
照明灯については灯具などは現在使用のものをそのまま使用し、塗装剥離、部分的な腐食が目立つ支柱の撤去と設置を、橋梁用高欄は既にアンカーボルトがセットされた地覆に高欄を設置。観光客を含めて往来が多い側道橋で、歩行者や自転車の通行の安全を確保しながらの作業が無事完了しました。
親鼻橋は長瀞町から皆野町へと延びる国道140号の荒川に架かる110.8mの橋梁で、1957年にプレートガーター橋として架けられました。現橋は「2代目」で、旧橋は1902年に架設され、現橋の上流側に露頭した紅簾石片岩の上に橋台跡のレンガが残っています。レンガのわきにはポットホールがあり、かつて川底にあったことがわかります。

さらに上流側には、かつて「親鼻の渡し」があり、当時の右岸(当時皆野村)と左岸(当時国神村)を結んでいました。
1886年に県道秩父児玉線(秩父新道)が開通し、金崎村(親鼻橋付近の荒川左岸)に馬車道が接続(1892年)すると、国神村は活況を、皆野村は衰退が目立つようになったと言われています。秩父新道は秩父橋を経由して現秩父市へのルートです。たまたま現場付近を散歩されていたご高齢の婦人からうかがった「昔は渡しを使って向いの国神の医者にかかったっていう話を聞かされたものです」という話は当時の様子だったでしょうか。
皆野村の状況打開の切り札になったのが親鼻橋。1914年に秩父鉄道(旧上部鉄道)が開通したこともあって、皆野村は発展の勢いを手に入れたと伝えられています。
親鼻橋付近は多くの観光客を呼ぶライン下り(1915年開業)の出発地点になっています。ライン下りは秩父山中の原木を江戸まで運んだ「いかだ流し」がルーツと言われています。


工事名:橋りょう修繕工事(親鼻橋側道橋道路照明灯・橋梁用高欄工事)
場所:一般国道140号/秩父郡皆野町大字皆野地内