夏の名残を惜しむ間もなく急に肌寒い日が増え、『秋の長雨』とはいうものの、ずいぶんと雨の日が続いていました。
朝のゴミ拾い散歩も行けない日の方が多くなっていました。
興味があってよく読む薬膳の資料によると、中医学で秋は『悲(悲しみ・憂い)』と深く結びつく季節とされ、肺の働きと心の動きが近くなる時期です。肺は乾燥や冷えで弱ると、悲しみ・憂いが強まりやすいそうです。
雨が続くと光が弱まり、身体は自然と陰へ傾きます。そのため、理由のない淋しさや落ち込みが顔を出すこともある様です。
また、現代医学の視点からも雨や曇天で光量が減ると、松果体が光の減少に反応してメラトニン(睡眠ホルモン)を過剰分泌、その結果、甲状腺ホルモンやアドレナリンが抑えられ『気分が沈む・やる気が出ない・眠い』などの症状が出やすいということですが、皆さんはいかがですか?
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私自身、このところ予定が重なることや予期せぬことが起きるなど落ち着かない日が続き、気が付けば深呼吸を忘れていました。「どう切り替えよう」と思ったとき参考にしたのが北欧の暮らしの知恵である『ヒュッゲ』です。
ヒュッゲとは、暗く長い冬を心地よく過ごすための工夫のこと。光が減る季節には心の灯りを増やすという発想です。
たとえば、柔らかい灯りをつける、あたたかい飲み物をゆっくり味わう、家族や友人と小さな時間を共有する、毛布や木のぬくもりなど、触覚を大切にする。そして自然との接点を絶やさないこと、雨の日の散歩、森での深呼吸、湖畔で静かに過ごす、北欧の人々は天気が悪くても自然の中に身を置くことで気分の調整をしているのだそうです。
古代ギリシャの医師ヒポクラテスも『人間は自然から遠ざかるほど、病気に近づく』とのこしています。
雨足をみながら雨散歩で深呼吸、すぐに出来ること実行してみます。
秋の風と共に、また淋しい知らせが届きました。
心の洗濯屋・倉本聰先生。享年91歳。『北の国から』と言えば懐かしく思い出せる方も多いのではと思います。
私は倉本先生の創られた作品はテレビドラマや映画をはじめ、舞台、著作の数々に触れる度、心の中で荒波が立ち時間をかけてやがて穏やかな凪へと移行していく、凪の中でいつまでも独特の余韻が残されている、その余韻にフォーカスするとたちまちまた荒ぶる、でもその荒さはもう絶対安心の中にある、そんな風に感じていました。
本を開けば夢中になって電車を乗り過ごしたり、駅を降りてベンチでしばし読みふけってから思い出したかのように目的地へ向かう、なんてこともありました。
何より好きだったのは先生の「字」、そして「点描画」です。
気付くと頬が濡れ、心がとてもあつく、足の裏から根が延びこの地球にしっかりとつながっているのを感じられる。
自分はとてもちっぽけな様で、一人なのではない、すべてと繋がっているのだということを知る。それは安心と同時に責任の様なものも強く考えることになる。この素晴らしい地球、宇宙の中の一部である自分がどう生きるかということへの責任です。
目に見えないところにこそ大切なものはあり、それがどれほど偉大であるか、も。
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2005年、閉鎖されたゴルフ場の跡地を「元の森に還そう」という先生の提案から始まったNPO法人『富良野自然塾』。植樹活動とそのフィールドを活用して環境教育活動が今も続けられています。『私たちにとって最重要である“空気と水”。それを供給してくれている森、葉っぱ。利を得るための事業ではなくこれまで不当に無視されてきた葉っぱをつくために森をつくる。』
昨年こちらの自然塾で発行されていた倉本先生による『カムイミンタラ』という季刊誌を電子アーカイブ化するためのクラウドファンディングがあり、応援しました。その際、私も植樹をしていただいているので来年はその木に会いに行きたいと思います。
※『カムイミンタラ』とはアイヌの言葉で『神々の遊ぶ庭』という意味です。
今回は最後に、倉本先生がのこされた数多くの言葉からひとつ、お伝えしておわります。
「僕達人間の存在にとっての必需品とは何なのでしょうか。食もそうですし、衣も住もそうでしょう。
しかしそれ以前にもっと最重要なもの。それは、空気と水、です。
しかしこの二つの重要性を、それがあまりにも身近で当り前すぎる為、僕らは普段忘れてしまっています。ではその空気と水を供給してくれているものは何か。森です。それも森の葉っぱです。
しかし人類は古今東西、森を見るとき、木材になる幹ばかり見て葉を見ることを忘れていました。」
富良野自然塾HPより
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