瑞々しい緑たちと彩とりどりの花々が満開の散歩道です。先日訪れた商店街ではツバメが優雅に飛び回っていました。その中の一羽、あるお店の軒先で餌を咥えたまま壁に向かい同じ場所でずっと飛び続けています。よく見るとそこには巣の形跡が。人間によって撤去されてしまったようで、あったはずの居たはずの今はないものの前でいつまでも待っている様なその姿はとても切なく胸が張り裂けそうになりました。自然の中に生きているのは人間だけではない、むしろ人間が後から次々と不自然を増やしてきたのではないでしょうか?『鳥獣保護管理法』は、私たち生命の共存の中で活かされていますか?
どくだみ、癖の強い香りとは裏腹に清らかな花が咲きだしました。『十薬』と呼ばれるどくだみは優れた薬効を持ち日本の三大薬草の一つです。繁殖力が旺盛で邪魔者扱いされがちですが、この豊かなお恵みをいただかないのはもったいないです。
私は実家から根ごと分けてもらい庭に移植し毎年チンキを作っています。(すっかり繁殖しております)虫刺されのかゆみもすぐに治まりますし、生葉を蒸してトロトロにしたものを肌荒れにつけて治したこともあります。葉の香りは得意ではないのでお茶にはしていませんでしたが、その効能を知るとやはり今年は乾燥させて飲用してみようかなと考えております。ニキビにも効果があるらしいので家族用に蒸留水も作ってみようと思います。
『カムイのうた』~アイヌの心にはカムイ(神)が宿る~ 実在したアイヌ女性、知里幸恵チリユキエさんをモデルとした映画。まだ穏やかな春風の頃、幼いころからアイヌ文化が好きな私は、突然の出会いで小さな映画館にてひっそりと観てまいりました。
この映画の中で迫害を受けるアイヌの人々の口から「和人ワジン」という言葉が度々出てきます。和人によって差別を受け続けていた。この「和人」という音が私の中でハッと何かを思い出させるように響きました。自分は”差別はしない”と思ってきたけれど、その意識とは全く別の深い部分で実は無縁のことではないことに気づかされました。この時、アイヌではない私は=和人であり、今ここに存在している私の中にはその血が流れているということに、感じたことの無い硬直感をおぼえました。
『SDGs17の目標』をみると、”平等”につながるものがいくつもあります。17のひとつひとつに意味がありますが、意味の違う目標のようで実は人間の心次第でどれも同じに解決できていきます。何かと比べて優劣を付け、自分が上だと認識することで安心する。多くの人がきっと無意識にしていることだと思うのです、私もそうです。それはまるで何かから自分を守っている弱さの表れかのようです。 一人の人間には多くの名目のようなものがあります。『長男』『末っ子』『社長』『パート』『未成年』『日本人』『親』『こども』…、親族にこんな立派な人がいる、家族が罪を犯した…。事実ではあるけれど、私たちは大体が自分たちが把握できる部分でしか生きていない。見えないけれど同時に、私たちのルーツは把握できない遥か遠く、元をたどっていけば始まりは一つであるということ。違う人間のようで実は大元は同じなんだということを思い出すと、全てに愛や敬意は生まれてきませんか?
そしてその命の流れには常に共に自然が在ります。アイヌもそうですが、先住民族たちは自然のあらゆるところに神を見出し敬い生かされていることに感謝している。日本の”八百万の神”という森羅万象に神を感じる考えは今多くの人が忘れてしまったものではないでしょうか?どんなに文明が発達しても、根源に変わらず持ち続けていることができたら守っていけるはずだと感じるのです。
『和を以て貴しとなす』。調和の心で。「自分だけ」でも「人間だけ」でもないはずです。