コラム

hummingbird No.12 いつからでも新しく

散歩道の紫陽花が色づきはじめ、そろそろ雨の季節の到来を感じ始めたころに30℃以上の夏日が続き、まだ体が「準備できていない」とでも言うようにグッタリばてました。
外での作業や外回りの皆さんくれぐれもどうぞご安全に!!!
この激しく変化する自然にうまく順応していく力をつけたいところです。

さて、G7広島サミットが閉幕しました。
「過ちはくりかえしませぬから」
慰霊碑の先に原爆ドームが見える、平和記念公園設計は丹下健三氏、ご両親をこの戦争で亡くされています。当時は取り壊しの話が出ていた原爆ドームですが、それを中心に捉えて設計したのは丹下氏グループだけだったそうです。(コンペ応募数145点)
この言葉と、この空間で私たちが受け取ることは何でしょうか。
本当の意味で「平和」とは何でしょうか。
奪い合うことでは幸せにはなれない、過ちは繰り返さず、ただ人は自分次第でいつからでも新しく生まれ変わることができる希望と感謝で進みたいです。

『いつからでも新しく』、この言葉は私自身が産後のてんてこまいの頃に出会い、その時から今もなお「お守り」のようにいつも背中を押してくれる存在になっているものです。子供たちが過ごした幼児教育の場の創立者である羽仁もと子さんが書かれた著作集の一部です。
「私どもはいつからでも新しくなることが出来ます。朝に道をきいたら、夕をまたずに実行すればよいわけです。」
過ちは誰でもするもので、大事なのはそこから何を得て、それをどう活かせるかであって、何事も自分の心次第で現実は変えていける、そう考えたら希望しかないのに、ややこしくしているのは自分なんですよね。
大きな壁の前でただ立ち止まってしまったり、沼に足を取られたり次から次にいろんなことがあるものですが、年を重ねていくたびにそれらを穏やかに平和にクリアしていける術もUPさせていきたいものです。

話はガラリと変わりまして、最近とてつもなく嬉しいことがありました。
庭のザクロの木に9年ぶりに花が咲いたのです!
大したことじゃないかもしれませんが、この木は私にとってとても大切なもので、「祖父母ののこしたザクロの木がいつか欲しい」と言っていた私がマイホームを建てることになった時に、父が車に乗せて運んできてくれ、そして庭に移植してくれたものです。
ザクロにはとても鋭い棘があり、それに枝もしっかりしていたので、それを移植するために根から抜く作業はとても大変だったと想像でき、作業してくださった方にはもちろんですが、それを一人で車に乗せはるばる運転して運んできてくれた父の優しさが嬉しくてうれしくて。「持ってきたぞー」と満面の笑顔で登場した父の姿は今も忘れません、そして家を離れ時には淋しいこともあった私にいつも変わらず応援してくれている家族の存在が側にいてくれているようでとても心強くなったことを思い出します。
移植してすぐの夏には立派な実がいくつか生って、一粒食べるごとに「すっぱいー」と目と口をすぼめながらおいしくいただいたのですが、翌年から8年間、さっぱり花も咲かなくなってしまっていました。
日当たりがいまいちではありますが、そのうちまたきっと!と思いながら剪定していました。今年もご近所のザクロたちが立派に花をつけてきたのを見て「うちも来年こそは!」と、お隣に飛び出しはじめていた枝の剪定をしていると!下からでは気づかないまさかの場所にひっそりと!普段は目力に縁のない私の目が見開いて思わず「咲いてくれたの!!」と声を上げて撫でていました。

言葉であったり、目に見えるものであったり形は様々ですが、自分を支えてくれる存在はきっと誰にもあると思います。気にしていなかったけど実はこの存在に助けられていた、なんてことも結構あるものです。
そんな存在を意識してみて、改めて感謝する時間を持つのもいいかもしれません。