コラム

hummingbird No.30 今が一番幸せ

いよいよ本格的に肌で寒さを感じ、布団から出るのに少々時間がかかるようになってきました。
”師走”と見ただけで、聞いただけで何故かそわそわしてしまうのがなんだか悔しくて、相変わらず年内にやることを書き出し可視化して着々と進めています。とは言っても「無理はしない」が最近の合言葉です。
11月23日は”勤労感謝の日”ということで国民の休日ですが、”新嘗祭ニイナメサイ”と言う、その年の豊作を祝うお祭りとして、日本書紀に記録があるほど歴史のある日でもありますね。
※天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。(宮内庁HPより)
私はひえ、あわ、きびなどを白米に混ぜていただくこともありますが、食感もたのしめ栄養も豊富で常備しておきたい食材です。現代の食事は美味しいものが溢れていますが、やはり縄文時代から食されてきた穀類のパワーは素晴らしいですね。

さて、今回は私の最近あった感謝離について。
どうしても心のどこかで消化できずにいる感情が、時々忘れたころに疼き出したりいたずらすることがあります。それはきっとその時の自分の感情に向き合うことをせず無理に蓋をしてしまったものだったりするのですが、そういった感情の中の一つに、何かに対する『怒り』がありました。
いい加減もう、いつまでもそこに縛られている自分を卒業したいと思いつつも、長らく放置しては揺さぶられ、また放置してを繰り返していました。堂々巡りです。どうしても日常は次々と流れてくるものだから、気持ちを置き去りについ流されて過ごすうちに忘れてしまっていたというのもあるのですが。ある日、買い物に出かけると開店まで15分程時間があり、天気が良かったので陽を浴びながらのんびりしてみることにしました。スマホもしまって。ただボーッと。その時ふと自分の中で『許(赦)すって何だろう』と浮かんできました。

いつも捕らわれているわけではないけれど、何かの拍子に思い出してしまう過去の出来事が、マイナス感情を伴っているのであれば、それはもう要らない、軽やかに進みたい、と思った時、許(赦)したいと思ったのです。
いつまでもそんなことをしてしまう自分の弱さも、そんな私を生み出した出来事も相手も。
人生を終えるときに、誰かに喜ばれないようなものは置いていきたくないのでなるべくものを整理するように心がけていますが、それは目に見えるものだけでなく自分の心の中も、スッキリしていたいと思っているので、許して、感謝してさようなら。この流れを、気づいたらするようにしはじめました。簡単なことではないです。まず自分が感じた気持ちはごまかさずにきちんと認めなければ始まりません。「あ、私すごく悲しいんだな」「ムカムカしてるな」「悔しいな」と。何故そう感じるのだろう?というところまで向き合うのが、ごまかさないということだと思います。

Forgiveness is the fragrance the violet sheds on the heel that has crushed it.
許(赦)しとは、踏みにじられたスミレの花が、自分を踏みにじったかかとに放つ芳香である

これは、作家マーク・トウェインが遺した言葉です。
いかがですか?この言葉を読んでどんな感想をもたれますか?
私はズキュンとやられました。深すぎて、自分のいるところがどんなに浅いことかと、ハッとして時が止まったかと感じる程でした。
大なり小なり、この地球上で日々争いは起きています。いつまで続けるのでしょうね。
まずは自分から始めるしかない。憎しみや、怒り、僻み、嫉み、、、そういった感情はいつまでも長く握りしめておくものではない。もし長く持っているものがあれば今手放せばいいだけのことですよね。
それは、まだ本当に必要ですか?ずっと持ち続けたいものですか?後世に残したいものですか?誰かが喜ぶものですか?それを持ち続けるあなた自身は幸せですか?
私の尊敬する人は、会うといつも言います。「今が一番幸せなんだよ。」ニコニコで毎回幸せの記録更新です。それはきっと、全てを許せる人にしかできないかもしれない。
私が許しても、誰かが許してくれないかもしれない。それでも私はそんな自分も相手も許して、そしてその人の幸せを祈りたい。
目指すはスミレの花。